マイケル・ジャクソンの映画「This is it」を観ました。
感動しましたね。
今までマイケル・ジャクソンの音楽とかまともに聴いてなかったし、当然のように
曲は流行っていて自然に耳に入っていたという感じでしたが。
根底にある思いは、愛を分かち合うこと、みんなの幸せを願うこと、地球を癒すこと、
そんなメッセージが伝わってきました。
ショービジネスの中に何十年もいて、いろんなイメージがありましたが、心の中には
そんな、純粋な思いがあっただけなんじゃないか、と感じました。
我々のベースに愛がある、ただそれだけでみんなが幸せになり、平和になれる。
そんなことを教えられました。

今日のフジテレビ「エチカの鏡」観ました。
「死ぬときに後悔すること25」(致知出版社;大津秀一 著)の特集でした。
何とも心ふるえる内容でした。
自分が最期を迎えるとき、心に浮かぶ様々な思い。
普段、普通に生活しているときには感じなかった、感謝や苦み、愛や後悔。
終わりが近づいて初めて顕在化する思いが、いかに心の中に眠っているか。
日々、今日が最後だと思って生きることを、絶えず心に留めて毎日を過ごすことは
やろうと思ってもなかなか続きません。
だけど、たとえ時折でも、与えられた時間を大切にする、それだけでも今が少しは
輝くんじゃないか、と感じます。
明日が来ること、そのこと自体が奇跡なのかもしれない。
また、死を迎えるのは誰にとっても必然であること。
その中で、生を輝かせるために自分がどう生きるか。
今まで何度も、何度も自分に問いかけながら、未だに体現していないテーマに、また
気付かされました。
家族、仕事、健康など、当たり前のように与えられていることに感謝する。
とてもシンプルですが、なかなかできないことだと思います。

次女の通う中学校で昨日、合唱祭というのがあり、観に行きました。
クラスごとで一曲ずつ発表し、学年優秀賞も選考するというかたちでした。
中には髪の色が黒くなかったり、服装が乱れている子もいましたが、面白いもので、
ステージに立つという状況を課されると、そういった普段生活態度の悪そうな子も
それなりに和の中で歌っていました。
人から見られている、注目されている、主人公になっている、という状況に置かれると、
余程のことがない限り、誰でも自分をよく見せよう、うまくやろう、という気持ちが働く
ようです。
自分に目が向いているんだ、大切にされているんだ、ということがわかれば、余計な行動
で注目をひく必要がないんでしょうね。
人間の本質にあることのような気がします。
娘のクラスは見事、学年優秀賞を獲得しました。
ずいぶんここまで紆余曲折あったようですが、よかったと思います。
娘には最大の祝福を送りました。
お祝いのハグをしようとしましたが、拒絶されました。

不審死など、おかしな事件が後を絶ちません。
本当に、本当に、我々人間のつくっている社会が狂っているとしか言いようがありません。
20年ほど前初めてニューヨークに行った頃、アメリカは不況で、ニューヨークもとても
危険な場所がいくつもありました。地下鉄も汚く、雰囲気が良くなかったです。
それが数年前に行った人の話を聞いたり、いろんなメディアからの情報によると、すっかり
きれいで、以前よりも安全な街になっていたそうです。
1990年代を通じての好景気が理由の一つじゃないか、と言われていました。
「夜回り先生」の水谷先生の書籍にも、経済状況の良し悪しは、夜の街や子供たちにも影響
しているように思う、とありました。
今のおかしな犯罪も、世の中の経済や景気などの影響が大きいのかもしれません。
ですが、今後今までのように景気が順調に伸びていく社会だとは思えません。
そうするとこれからは、人としてみんなが幸せを感じる社会、調和のとれた世の中を目指す
しかないように思います。
みんなが幸せな世の中って、どんなものなのか。
そうすれば、それが実現するのか。
自分たちに課せられた、大きなテーマだと思います。

何か言いにくいことを伝えるとき、せっかくの機会を断るとき、いやな緊張感が
体中に走ります。
こんなこと言ったらいやな気持になるだろうなあ、怒るだろうなあ、嫌われる
だろうなあ、など、いろんなジメッとした思いが占領します。
きっと誰でも時々経験することなんだろうけど、そんな時は「なんで自分だけいつも
こんなことになるのかなあ」と、極めて勝手な被害者意識を覚えます。
きっと自分は、どこに対してもいい人でいたい、怒られたくない、穏便にやり過ごし
たい、という気持ちが強いんでしょう。
何度経験しても、いつも同じ、いやな気持になってしまいます。
いっとき勇気を出せば乗り切れる、ということも知っているはずなんですけどね。
あるいは「言わなきゃいけない」ということで頭がいっぱいになってしまうと、必要
以上に深刻に考えてしまって余計スムースに伝わらない、こともあります。
悩んでいるときもそうなんですが、そのことで心のアリ地獄に落ちていくのではなく、
なんか違うことをして忙しくしたりしていたほうがうまくいくんじゃないか、と思います。

大流行ですね。
うちも子供たちが順番に学級閉鎖になりました。
学校は休みですが、外出できないし、後で穴埋めの授業もあるのであまりうれしいもの
でもないでしょう。
小さい子供を持つ親だと、仕事を休まなければならなかったり、予定が大幅に狂います。
数年前の鶏インフルエンザ、毎年どんどん感染が大きくなるいつものインフルエンザ、
そして今回の新型と、何か我々人間の免疫をあざ笑うかのような流行ぶりです。
毎年のウイルスに抵抗するワクチンを体内に入れれば、ウィルスはそのワクチンに勝とうと
して進化するため、結局年々感染が激しくなり、多様化しているんじゃないか、と素人目に
映ってしまいます。
本当にいろんな意味で、生きにくい世の中になりました。
インフルエンザのウィルスに限らず、我々が人工的に何かに抵抗しようとしても、それを
欺く、あるいは上回るだけの出来事が起こることはよくありますね。
例えば子供にいろんな規制をつけて縛ろうとしても、それをすり抜けるように大人を欺いて
縛りから抜けようとします。
またいつも怒られていると、怒られることに麻痺してしまい、聞く耳を持たなくなって、
全く言うことをきかなくなってしまう、そんなことを思い浮かべます。
生きる上で起こる、このいたちごっこ。
どう向き合えばいいんでしょうか。
インフルエンザについては生命に関わることなのでともかくとして、それ以外のことに
ついては、自分の尺度や価値観だけで他をコントロールしようとすると、このいたちごっこ
が始まるような気がします。
クマやいろんな動物が人里を荒らすのも同じことで、人間が勝手に山の自然を奪ったので
人里に来ているのもかかわらず、こちらが迷惑するということだけで動物を退治するのも
人間の一方的な尺度ではないのかなあ、と感じます。
いかに自分たちが自分勝手なのか、それを受け入れることがスタートのように思います。

11月になりました。
今年もあと2カ月。
早いですね。
一年の経過が、早く感じるようになっています。
それもそのはず、44歳の一年は1/44。22歳の一年は1/22。
こうやって歳を重ねていくんですね。
子どもたちに接していると「若いというのはそれだけでいいなあ」と
しみじみ感じてしまいます。
こんなこと、数年前までは頭もよぎらなかったし、自分が年齢を感じること
なんて、あり得ないと思っていたんですけどね。
自分の年齢を受け入れる、というのも、大人になる一つの要素ではないかと
思います。

昨日は仲間内で毎月集まる会「天到夢志」がありました。
その仲間の一人の息子さんが昨日、交通事故に遭い、一時危ない状態になりました。
みんなで数十秒、祈りました。
息子さんは一命を取り留めました。
祈りが通じたかどうかはわかりませんが、それくらいしかやれることはありませんでした。
息子さんがそのような状態にある、仲間の気持ちを想像すると、自分がその立場だったら
とても生きた心地がしないだろう、と思い、いたたまれないものがありました。
昨日、みんなで祈っているとき、ほんの数十秒でしたが、静寂の中に何とも言えない神聖な、
それでいてあたたかい空気に充ちていました。
人間の思いや想念は、目には見えない何かを創造するんじゃないか、と実感しました。
この「目には見えないもの」に感じることができるかどうかは、心豊かに生きることへの
大きな要素であるように思います。
とにかく、命がつながってよかったです。

昨日は長女の通う高校が開いた「水谷修先生」の講演会に行きました。
「夜回り先生」で知られる水谷先生のことは、本や報道、テレビなどで見聞きしていましたが、
直接講演を聴くのは初めてでした。
自分が関わった子供たちのことを話しながら、自分の使命に命懸けである姿勢に感動しました。
薬物や暴走族の世界などに足を踏み入れ、深い悲しみや痛みを背負っている子供たちを、どう
したら助けることができるか、水谷先生自身も壮絶な経験をしながら、なおその役目を全うして
いることは、到底今の自分には真似できることではありません。
誰もが顔をしかめ、忌み嫌うような存在の子供たちに関わり、その人生を支えていくためには、
うわべでない真の優しさがないとできないと感じました。
真の優しさって何だろう、と思うと、厳しさと共に、相手を心の底から信じ、受け入れることでは
ないだろうか、と今の自分は解釈しました。
そんな「本当の優しさ」を持って、人生を懸けて使命を全うしていく、半端じゃない生き方を
している人を目の当たりにして、自分は何をしていくのか、改めて考えされられました。

今日は自転車で出かける予定があったのですが、とても気持ちのよい天気だったので、出かける前
には「きっと自転車で走っていると気持ちいいだろうな」と楽しみにして出かけました。
自転車に乗ってしばらく、ハッと気付くと、それまで考え事をしていて天気の気持ちよさをちっとも
感じていませんでした。
いくら何かを与えてもらっていても、その恩恵は自分が意識しないと実感できないんですね。
与えられたことを当然のように思って感謝がなかったり、得ているもの、持っているものを認めずに
いると、何もそこから生まれないんだと思います。
風を感じ、景色を楽しみ、空の色を仰ぎ見だしたら、走っていることが楽しくなりました。

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